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ドルベト (モンゴル) : ウィキペディア日本語版 | ドルベト (モンゴル) ドルベト(中国語:杜爾伯特 Dùěrbótè、英語:Dörbet)は、15世紀前期に形成されたモンゴルの一部族。その遠祖はチンギス・カンの弟のジョチ・カサル。オイラトの部とは同名異族である。 ==歴史== ドルベト部は喜峯口外に在り、京師(北京)まで2050里の距離にある。東西は170里、南北は240里ある。東と北には黒龍江があり、西にはジャライト(扎賚特)部、南にはゴルロス(郭爾羅斯)部、北にはソロン(索倫)などの藩部がある。ドルベト部には二つの同名異族が存在する。一姓はチョロース(シャンロス 鮮囉斯)といい、オイラト(衛拉特)タイジ(台吉)ベイハン(孛罕)の裔であり、旗は14、ウランクム(烏蘭古木)に遊牧し、外ジャサク(扎薩克)と称す。また一姓はボルジギト(博爾済吉特)といい、チンギス・カンの弟ジョチ・カサルの裔であり、喜峯口外で遊牧する内ジャサク(扎薩克)である。 ジョチ・カサルの16代目の子孫であるアイナガ(愛納噶)は初めてドルベト部と称した。天命9年(1624年)、アイナガの子アドゥジ(阿都齊)はホルチン(科爾沁)部タイジ(台吉)のオーバ(奧巴)と共に後金へ遣使を送って好を乞うたため、ホルチン部ともども後金に帰属した。順治5年(1648年)、アドゥジの子セレン(色稜)はジャサク(扎薩克)を授かり、ホルチン部と同祖であることから、これに附き、ジェリム(哲里木)盟に属した。旗は1、ドクドル(多克多爾)坡に駐屯した。その爵はジャサク・グサ・ベイセ(扎薩克固山貝子)となった。 〔『清史稿』列伝三百五〕
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